マウントとりがちな依存系の大人にならない対策と、若い人への処世術

言葉尻をとって自分に有利なポジションを取ろうとしてくること、ありませんか?された方は嫌な気分になりますが、当の本人は無意識でやっていることが多いことも多々ありませんか?

心の距離をうっかり許してしまいがちな「家族」。もし、家族にそんな人がいたら、気持ちが墜ちてしまう前にお医者さんに診てもらいましょう。

家族同士の諸問題は、生きている限りほぼ全員に起こりうることですから、訴訟にならない限りは世間でも「あるある」として処理されやすい事柄ではないでしょうか?

しかし、あなたが今まで育んできた価値観に対して、無関心あるいは否定的な環境にずっと身を置いていると、大人であっても精神を病んでしまい、回復しなくなる場合があるんです。

今回は、私の拙い経験から、家族の心の健康を最優先するために心掛けていることをお伝えします。そして、息子が自律するときのために、若い人が年上に相談するときの注意点ついてもお話しします。

母の娘への依存は親族間トラブルがきっかけ

私は、思春期だった中学・高校・大学と、気が付けばいつの間にか両親間の罵り合いを聞くポジションを当てがわれてしまっていました。

責任感が強い母へのサポートのために依存度が強くなっていった

依存を強めていったのは、私が中学生のころでした。親族間で土地建物の相続に関することや父親の兄弟の意思疎通について上手くいかないことがあったようです。これは、当時リアルタイムで母から聞いていました。

また、こうした諸問題が起こったとき、母は間に立って道筋を決めていく役割を、買って出ていました。相続の手続きも、遠くに住む父方の実家に手続きを頼むなど、自ら先陣切って行っていました。

毎日2~3時間聞かされていた母の不幸話は、もはやポジショントークに

「●●おばさんはこう言った」「△△おじさんはこう言った」。母が、電話や直接の会話の中で親族と話したことを、その日の夜に酒を飲みながら私に愚痴ってくるのです。父方の家の話も、自分に血縁のある親族の話も同様です。

あくまで私の所感ですが、こうした愚痴を「量」で換算すると、その2割が「母の主張」であって、3割が「母の置かれている立場への愚痴」、5割は「親族や夫(私の父)への愚痴」でした。

しかも、それまでにすでに解決した事案さえ持ち出して、最終的におよそ人格否定に似通ったことさえ言ってくるのです。

その主張を、私はすべて受け止めていました。1日に2~3時間、毎日です。

私ももう嫌になって「じゃあやめれば?」と言うと、「あんたはまだ若いからわからないんだ」「将来のために聞いておきなさい」と、今度は私より立場が上だという物言いで返事を返されていました。

こんな中学・高校生活。毎日ずっとエンドレス。さぞかし母は、私に助けられたことでしょう。だって、母は「家族や親族に責任をもちたい」という意思を私に尊重して貰えたのですから。

立ち行かなくて気持ちが不健康なときは、立場を手放す決断だって必要

これは、当時の母と私、両方に言えることです。

学生にとって、毎日2~3時間を勉強以外の事に費やすなら、展望あることに使わないと本当に無駄になってしまうのです。

この4~5年もの期間、「娘に愚痴を聞いてもらう」という事実が続いたことに対する母の罪は、娘の時間を奪ったことに他なりません。「娘の時間を奪っているのではないか」と振り返ることがあったのかどうかは分かりませんが、母はその事実を手放そうとはしませんでした。

一方で、私の罪は自分の時間の価値をいつまでも考えなかったことです。完全に「母親の心の支えにならなければいけない」と自惚れていました。

母(妻)としての責任感をどこまで貫く?家族全員が健全であるために必要な見極め

子供がいる親御さんへ。自分の責任感を達成するなら、子供に依存しない程度にしてください。

「時間の大切さ・相手の時間を奪う卑怯さ」を学ばない親になにができる?

「時間の大切さ」を学ばない親が、子供の自律を促せるはずがないです。また時として、責任感は居住する家族・家計を一にする家族に悪影響になることがあります。「相手の時間を奪う卑怯さ」ということに盲目になりそうな時、私は我に返ることができる人でありたいと思います。また、私はそういう冷静な人でないと時間を共有したくありません。

過去の話をする時に、経験則の一部として・ネタとして話すなら、ある程度健全だと言えるでしょう。しかし、「共感してほしい」「自分の主張の説得材料として話しておきたい」という場合は、伝える手段に慎重になった方が良いです。

人生の分岐点に立ったとき、相談相手にどうやって応えてほしかったか

私は大学生・社会人になってから、転職を2回、退職は出産を含めると3回しています。誰かに相談したとき、直接的なアドバイスを返してくれる人が多かったと記憶しています。共感してくれることも多かったです。

自分が分からないこと・知らないこと・不勉強なことについて相談されたとき、その人の過去を持ち出して「あの時はこうしたよね」とアドバイスしたり、一緒に悩むのは健全じゃないと考えています。

反省点は、私が相手の時間を奪っていることに自覚がなかったこと

話は逸れますが、こんなふうに言っているものの、当時よく相談に乗ってくれた先輩や友人に、何か思っていることは全くありません。むしろ、同じような悩みをアンケートように軽い気持ちで相談していたことを反省しています。

あのとき、相談に時間を割いてくれた方々、ありがとうございました。そして、ごめんなさい。

「結果的に一つの物事を続けてきた」と言えるなら良いですが、私たちは時として「一つの事を続けることがいいことだ」と美徳感情を持つことがあります。これは、親や学校の先生が社会的な評価を得るために努力することを教えるにあたって、分かりやすい模範例だから例に挙げられることが多いのだと、私は考えています。

親が子供の相談にのるときは、解決の糸口のヒントを与えてほしい

話を戻します。子供さんから相談されたときのアドバイスが、「○○の法律について調べてみてはどうか」というように、疑問点を解決する糸口を与えられるものであるなら、それはお子さんにとってとても有意義な時間だったでしょう。

若い人へ。手取り足取りタイプの年上に、足元をすくわれないよう注意

辛い経験を乗り越えた自負がある人を相談相手に選ぶなら、注意した方が良いです。続けることが美徳と化している人は、いつの間にか「続ける」という手段が目標になってしまっていることがよくあります。時として、そんな人は「こうしてみてはどうか」などと直接的な行動を指南してくることがあります。

また年上の大人の中には、若い人に頼られると嬉しいと感じる人がいます。そのとき、「私(僕)ならこうする」という目線で相談に乗ってくる人もいます。しかし、私がその人のためにアドバイスするときは、初めの声掛けとしては正しくないと考えています。

「相談者が事実を把握しているのか」「置かれている状況をどんな風に受け止めているのか」「今後の生活費は継続して稼いでいけるのか」等々…。私なら、「私(僕)が同じ立場ならどう対応するか」を説き伏せる以前に、相談者の状況を把握するための質問をしたいと考えるからです。

若い人にお伝えしますが、相談相手にこうした傾向がみられる場合は、相談されることに優越感をもってあなたに接している可能性があります。また、親御さんのように近しい相手に相談するなら、手取り足取り教えようとしてこないように、距離感を保つ言葉を添えておくのも処世術として身に着けましょう。

まとめ

中学から高校を卒業するまでの私は、「両親の負の感情を捨てるゴミ箱」でした。私は、息子にこんな思いをさせたくありません。引き続き、健全な心で家族が過ごせるように取り組んで行きたいです。

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